ロサンゼルスはご存知の通り、市域で300万人、都市圏で1500万人を抱えるアメリカ国内第二位の人口を誇る巨大都市です。ハリウッドに代表される映画産業を初め、兎に角華やかな香りがいたる所(走っている高級車など)から感じられました。永久滞在者を含め、在留邦人数は世界の都市の中で最多となる約7万人もいます。
元々海外で生活をしてみたいという思いがあり、学位取得後の2016年初めから、雑誌や研究サイトを活用しながら、興味のある研究をおこなっている部署へメールをストーカーの様に送りつけました。その後、スカイプを使用した面接を行い、ついに有給のポジションを得ました。UCLAのあるWestwood地区にアパートを借りました。UCLAは10の大学からなるカリフォルニア大学システム(UCシステム)の1校で、バークレー校、サンフランシスコ校に次ぐ歴史があります。5つの学部と7つの専門大学院から構成され、4万人を超える学生が在籍しています。UCLAにはデイヴィッド・ゲフィン医科大学院をはじめとする4つの健康科学分野の専門大学院があり、病院の名前はロナルド・レーガンUCLAメディカルセンターで、元大統領の多額の寄付で建てられた非常に新しい建物でした。私はそんなUCLAの、デイヴィッド・ゲフィン医科大学院にある麻酔科講座の心血管研究部門の研究室(地下2階に存在するため残念ながらカリフォルニアの日差しを感じられる窓はありません)で、主に大動脈瘤の形成をmicroRNAを介して抑制する研究を行っていました。研究室には、既に数種類の遺伝子改変マウスが存在しており、私の赴任以前から大動脈瘤の実験を行っていたため、予備実験を含めてモデルの作成に苦労することはありませんでした。試薬やキットなどの購入に関し、日本では考えられない非常に贅沢な研究をしていました。また、UCLA内には培養液や抗体の出張販売所があり、不足分の試薬も含めてすぐに購入できる環境となっていました。研究時間は非常にフレキシブルで、12時から出勤する研究者もいれば、私のように7時前から実験をしている研究者もいるなど様々な働き方が認められていました。ロサンゼルスには、心臓画像解析部門で有名なシーダーズ・サイナイ病院もあり、循環器を含め日本人研究者の繋がりも盛んで、毎月家族も含めた定例会が開催されていました。研究は比較的順調に進み、2017年のロサンゼルス近郊で開催されたAHA総会で発表を行い、現在追加実験を含めて後任の中国人ポスドクに研究を引き継いで帰国いたしました。
こうして留学期間を振り返ってみると、短いながらも非常に充実した海外生活でした。この留学便りを記載している8月末のジメジメとした非常に高温な気候の中にいると、カリフォルニアの過ごしやすい気候が懐かしく思い出されます。最後に、快く留学に送り出していただいた先生方に深く感謝いたします。ありがとうございました。